伝統と歴史
登別温泉の歴史を語る時には必ずと言っていいほど、滝本 金蔵と栗林 五朔の二人が登場します。
滝本 金蔵は温泉そのものの発展に貢献した人物で、栗林 五朔は登別温泉街の発展に貢献しました。
室蘭で酒の小売店から身を興し、船舶代理店、石炭、雑貨の荷役作業、海運・倉庫・請負業へと事業を拡大していった栗林合名会社の栗林 五朔は、滝本 金蔵亡き後、経営が行き詰まった旅館二件、温泉権利等がその元に持ち込まれたのをきっかけに、登別温泉街発展の為に資金の投入を始めました。
当時の登別駅と温泉場を結ぶ唯一の交通手段は馬車で、雨が降ると泥んこ道となり、立ち往生するのも珍しくありませんでした。
その為、鉄路を敷設する計画を立て、大正4年、登別温泉軌道株式会社を設立し、12月には待望の馬車鉄道が開通しました。
大正7年5月に軽便鉄道が開通し、大正14年には電車開通と、温泉までの交通手段は、飛躍的な発展を遂げ、集客力も大幅に向上いたしました。
その後、経営を引き継いだ栗林 徳一は、先代が築いた基礎の上に、欧米留学、ヨーロッパの温泉保養地、観光地等の視察をヒントに、温泉プールを併設した大浴場や、子供の国遊園地、北大病院付属院(兼温泉研究所)等、登別温泉街に近代的手法を次々と取り入れ、実践し、近代的な施設を建設していきました。
登別グランドホテルは、その成果が集約された象徴ともいえる存在で、昭和13年6月、栗林 徳一の発案によって建設され、赤い屋根瓦に青いひさしがついたクリーム色をした建物でした。
当時は、その外観のモダンさに住民の方も見ほれる程だったといいます。
昭和29年の昭和天皇・皇后両陛下の北海道御巡幸の際には、ご宿舎にあてられました。
それ以来「登別温泉の迎賓館」と呼ばれるようになり、その名に恥じぬよう、行き届いたサービスをご提供できるように努めております。








